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東京高等裁判所 昭和61年(ネ)896号 判決

控訴人

平澤貞通

右訴訟代理人弁護士

遠藤誠

被控訴人

右代表者法務大臣

遠藤要

右指定代理人

金子泰輔

右同

小鹿愼

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

一  控訴代理人は「原判決を取り消す。被控訴人は控訴人に対し、昭和六〇年五月七日から被控訴人が控訴人を釈放する日まで一日につき金七二〇〇円の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決並びに右金員請求中期限到来済みの分について仮執行宣言を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

二  当事者双方の事実上、法律上の主張は次に付加訂正するほか原判決事実摘示と同一であり、証拠の提出及び認否は原審及び当審訴訟記録中の書証目録記載のとおりであるから、右各記載をここに引用する。

1  原判決の訂正

原判決一八枚目裏四行目「因リテ」を「因リ之ヲ」に、同二〇枚目裏八行目「因リテ」を「因リ」に、同二一枚目表一一行目「元」を「元来」に改め、同三二枚目表一行目、五行目及び一一行目「別紙」の前に「原判決添付」を加える。

2  控訴人の主張の追加・補充

(一)  被控訴人は「刑の時効制度の趣旨、目的に照らせば逃亡死刑囚と被拘置死刑囚との間で時効制度の適用上差の生ずることは当然である」と主張する。

これが自由刑の場合なら、被拘置者と逃亡者は刑の執行を受けているか否かという点で法的な地位が異ることは明白であるから、時効制度としては、前者には時効を認めず、後者にはこれを認めるといつたように全く処遇を異にしても不公平ではない。刑の執行と時効とは矛盾する以上、被拘置者に対しては刑の時効を考える余地もないのである。しかし、死刑囚の場合、逃亡者も被拘置者も規範的には死刑の執行を受けるべきでありながら、未だ死刑の執行を受けることなく経過している点で全く異るところはない。刑の時効制度が長期間刑の執行を受けない状態が継続したことによつて生じた社会規範感情の緩和や社会的関係の安定への配慮に基づくものであるならば、この点において逃亡者も被拘置者も選ぶところがないのであるから、三〇年の経過により前者には死刑の時効を認め、後者にこれを認めないというのは明らかに不公平、不平等であり、このような解釈は法の下の平等を定めた憲法一四条に反するものである。

(二)  控訴人は三〇年に及ぶ拘置期間中前後一七回に亘つて再審請求をし、その期間は通算して約二八年に及んでいる。刑訴法四四二条によれば「再審の請求は刑の執行を停止する効力を有しない。但し、管轄裁判所に対応する検察庁の検察官は、再審の請求についての裁判があるまで刑の執行を停止することができる。」のであり、死刑囚の場合、再審の請求が相当の根拠があつて慎重審理に値し、その間死刑の執行を差し控えて十分審理を尽させるべき場合には、検察官は再審の裁判があるまで刑の執行を停止しなければならないのである。そして、死刑の執行を停止することによつて死刑囚に対してはその間死の恐怖を取り除くことができ、又刑の時効の進行が停止するのである。ところが、控訴人の再審請求の際に法務当局は死刑の執行停止の措置を採ることなく、二八年の間控訴人の死を恐怖下に拘置し続けた。刑法一一条二項は、単に常識的に考えられる相当の期間内死刑執行に備えて身柄を確保するために拘置することを認めるに過ぎないから、同条によつて控訴人に対する右のような拘置が正当化されることはないものといわなければならない。もつとも、控訴人に対して刑の執行停止の措置を採らなかつたことによつてその間刑の時効が進行し、三〇年経つた所で恐怖の代償として刑の時効が完成し、控訴人が釈放されるのであればひとまず衡平の原則にかなつていると言うことができるが、控訴人の死刑の時効が完成しないというのであれば、控訴人に対する拘置の継続並びに死刑の執行は憲法三一条に反するものと言わなければならない。

また、被控訴人に控訴人を処刑する意思があるか否かは不明であるが、客観的状況からみると、人情や世論を逆撫でしてまで控訴人の処刑を強行する意思があるとは見えず、むしろ控訴人の自然死を待つているのが実情と思われる。したがつて、控訴人の拘置は、刑法一一条二項に基づく死刑執行までの拘置ではなく、また他のいかなる法律に基づく拘置でもないから、憲法三一条の法定手続によらない自由の侵害である。

(三)  死刑囚の拘置が刑罰そのものでなく「死刑の執行行為に必然的に付随する前置手続」であるものとしても、控訴人は三〇年という異常な長期間「死の恐怖」の下に拘置され続けたものであるから、控訴人に対する拘置は不必要な苦痛を与えるものであり、著しく拘置の目的を逸脱した残虐な刑罰として憲法三六条に違反し許されない。

(四)  仮に、控訴人について刑の時効が完成していないとしても、死刑の時効期間に相当する三〇年間拘置したままで死刑の執行がなされなかつたという現実は何らかの考慮に値するのであり、九〇歳を過ぎ病弱の身の控訴人を今更処刑すれば社会感情は逆に法の執行者を非難する側に回るであろうし、他方「死刑確定者」として老衰により死亡することで「死刑」を求める社会感情が満足されるとも思えない。この異常事態の解決には時効制度の根元に立ち返り、「権利の上に眠る者を保護せず」との考え方に則り、三〇年間も死刑の執行をしなかつた国家に今さら「処刑」する「権利」はないと解するのが相当である。刑罰権の本体である「処刑」をしえない以上「刑の執行」のための「拘置」は目的を失うのであるから、被控訴人は刑法一一条二項の規定を根拠として控訴人の拘置を継続することは許されない。

(五)  控訴人の、死刑の確定裁判に対する再審請求の状況、恩赦出願の状況及び再審請求及び恩赦出願期間がそれぞれ、原判決添付の別紙①再審請求状況調べ、同②恩赦出願状況調べ及び同③再審請求及び恩赦出願期間調べ記載のとおりであることは認める。

理由

一控訴人は、いわゆる帝銀事件の被告人として昭和三〇年四月六日、最高裁判所において上告棄却の裁判を受け、同人に対し死刑を言渡した東京高等裁判所の裁判は、右上告棄却の裁判に対する判決訂正申立の棄却決定を経て、同年五月七日に確定したこと、控訴人は右同日以降死刑確定囚として東京拘置所、宮城刑務所(拘置場)及び仙台拘置支所を経て、昭和六〇年四月二九日から八王子医療刑務所において拘置され現在に至つていること、控訴人に対する前記死刑の言渡が確定した後、死刑の執行がなされないまま昭和六〇年五月六日を経過したことにより、死刑の言渡確定後三〇年の期間を経過したこと、刑法三二条の柱書及び一号には

「時効ハ刑ノ言渡確定シタル後左ノ期間内其執行ヲ受ケサルニ因り完成ス

一  死刑ハ三十年」

と規定されていることは当事者間に争いがない。

二当裁判所は、死刑の執行のために身柄を拘置されている間は死刑の時効期間は進行せず、したがつて、控訴人について死刑の言渡確定後死刑の執行を受けることなく三〇年を経過しているが、死刑の時効は完成していないと判断するもので、その理由は以下に補正するほか原判決の理由二と同一であるから、右記載をここに引用する。

1  原判決三八枚目表一〇行目の「また」の次に「後述の刑の時効制度の趣旨、刑の時効の中断に関する刑法三四条一項の規定との統一的な解釈等に鑑みるときは、「其執行」の意味を右の如く解釈することが」を加える。

2  原判決四一枚目中、表五行目の「作成」を「形成」に改め、裏九行目「受けてきた者」の次に「は、国によつて、既に死刑執行という刑罰権行使の目的のために、その前置手続として社会から隔離され身柄を拘束されている者であるから、これ」を加える。

3  原判決四二枚目裏一一行目の次に行を改め、次のとおり加える。

「3 刑の時効中断との関係

『刑法三四条一項は「時効ハ刑ノ執行ニ付キ犯人ヲ逮捕シタルニ因リ之ヲ中断ス』と定め、これによれば、死刑についてもその執行のため犯人を逮捕することが刑の時効中断事由となることが明らかである。ここにいう「逮捕」とは、刑を執行するために犯人の身柄を拘束することをいい、収監状の執行により身柄を拘束すること、呼出に応じて任意に出頭した者を検察官の執行指揮によつて収監すること、在監者が逃走したときに監獄官吏が監獄法二三条によりこれを逮捕すること、逃走中の受刑者を逃走罪もしくは他の犯罪の容疑者として逮捕した後、その犯罪の捜査・裁判を経てもとの刑の受刑者として監獄に復監し、または他刑の執行を受けた後、もとの刑の残余の刑期についての執行が委嘱されたときなどが、ここにいう「逮捕」に当たるものと解される。

ところで、時効の中断とは、時効を進行させる基礎となつた事実状態(刑法三二条に則していえば刑の言渡確定後其執行を受けることなく期間を経過すること)と全く相容れない事実状態が発生したために、既に進行していた時効期間の効果を喪失させるものである。死刑の場合においても、死刑の執行のため犯人を逮捕することが時効中断事由となるのであり、このことは、刑法において、死刑の執行のため犯人の身柄を拘束することをもつて死刑の時効を進行させる基礎となる事実とは全く相容れない事実に当たると評価していることは明らかである。ところで、死刑囚については右「逮捕」後死刑の執行に至るまで刑法一一条二項に基づいて身柄を拘束されることになるのであるから、刑法は、死刑の時効中断事由である「逮捕」よりも死刑の執行と一層密接な関係にある刑法一一条二項に基づく拘置をもつて、時効の進行する事実状態とは相反する事実状態と評価していることは明らかであつて、刑法一一条二項による拘置の継続中は死刑の中断の前提となる時効の進行はないものといわなければならない。

したがつて、刑法三四条一項の死刑の時効の中断の規定の趣旨からみれば、同法三二条柱書の「其執行」は「死刑を言渡した確定裁判の執行」としてなされる刑法一一条二項に基づく身柄の拘置を含むものと解するのが相当である。

なお、控訴人は、刑法三四条一項の刑の中断事由である「逮捕」に刑法一一条二項の「拘置」を含むと解することは罪刑法定主義の一内容である刑法の拡張解釈禁止の原則から許されず、控訴人に対して刑法三四条一項の「逮捕」と解されている刑訴法四八五条ないし四八九条による収監状が発布されてもいなければ、また控訴人の現在の身柄拘束は呼出に応じて任意に出頭したのに対して検察官の執行指揮により収監されたものでもないから、控訴人に対する刑の時効は昭和三〇年五月七日以来中断することなく進行していると主張する。しかし、刑法一一条二項に基づいて拘置継続中の控訴人については、刑の時効は当初から進行しないのであるから、時効中断事由の有無を論ずる余地はなく、控訴人の右主張は失当というほかはない。」

4  原判決四三枚目表一行目の項数「3」を「4」に、四四枚目表六行目の項数「4」を「5」に、同裏一行目「拘禁者」を「被拘置者」に改める。

5  原判決四五枚目裏六行目の次に行を改め、次のとおり加える。

「(四) また、控訴人は、逃亡者も被拘置者も規範的には死刑の執行を受けるべきでありながら、未だ死刑の執行を受けることなく経過している点で異るところはないから、三〇年の経過により、前者には死刑の時効を認め、後者にはこれを認めないというのは明らかに不公平、不平等であり、このような解釈は法の下の平等を定めた憲法一四条に反すると主張する。

しかし、逃亡者に時効の完成を認め、被拘置者にこれを認めないこととなるのは刑法三二条に定める刑の時効完成の要件を前者は具備し、後者は具備しないと解されることから生じる差異であるところ、同条の解釈としては被拘置者には死刑の時効が進行しないとする解釈が合理的かつ妥当なものであることは前記二1ないし3記載のとおりである。

そして、時効制度の基礎となる双方の社会的な事実状態等について逃亡者と被拘置者とを対比すると、二2において述べたように、逃亡者の場合には曲りなりにも一般社会の中で日常生活を長期間にわたつて継続していることから、本人について一般社会人と同様の社会生活・事実関係が形成され(社会一般は本人が死刑囚であることを前提とせずにこれを受け入れ、本人をめぐつて様々な社会的、経済的あるいは身分的な関係が積み重ねられるのを原則とする。)、このことによつて犯人に対する規範感情も和らぎ、時効期間が満了する頃には現実的な処罰を求めないまでになつているのが通常であるから、本人に対し刑の執行を免除し、現に存在する社会生活関係を尊重し覆さないことが社会的安定に資するといつた事情が存するのに対し、被拘置者の場合死刑を言渡した確定裁判の執行として社会から隔離されて拘禁されているから、そこには、刑の執行を免除し覆さないことが社会的安定に資するべき社会生活関係が存しないし、社会一般もそのことを前提としているから、規範感情の緩和の点も逃亡者とは質的に大きく異つている。したがつて、逃亡者と被拘置者とは時効制度の適用に当たりその基礎となる事情が全く異つているから、これらの差異に着目して前者に時効の完成を認め、後者にこれを認めないと解することは何ら不合理な差別ではなく、憲法一四条に違反するものでない。控訴人の主張は逃亡者と被拘置者との間の前記本質的な差異を無視するもので到底採用することはできない。」

原判決四五枚目裏七行目の項数「5」を「6」に改める。

6  原判決四六枚目中、表二行目冒頭に「死刑の執行は法務大臣の命令によつて行うものである(刑訴法四七五条一項)が、右命令は判決確定の日から六箇月以内にこれをしなければならない(同条二項本文)ものとされている。これは刑を言渡した裁判が確定した以上、できるだけ迅速に執行することが、法による正義の実現並びに裁判の権威の尊重に必要であるとの一般的な考え方に基づくものと考えられる。」を、裏一行目「したがつて」の次に「法務大臣は死刑の執行命令を発するかどうか、また何時発するかを決するに当たつては、これらに関する事項を含め、あらゆる事情を総合して慎重にこれを決すべきものであるから」を、裏二行目「受けとめ」の次に「、死刑の執行命令を発するに当たつてこれらの事項について」を、裏一〇行目末尾に「これを本件についてみると、控訴人は死刑の判決確定後、昭和三〇年六月二二日第一回目の再審請求をしたのを皮切りに、今日まで一七回の再審請求並びに五回の恩赦出願がなされ(控訴人は、本件口頭弁論終結当時、第一七回再審請求及び第五回恩赦出願の手続中である。)、右再審請求及び恩赦出願の結果、その手続の行われている期間を除く右死刑判決確定後の期間はわずかに八二日間にすぎないことは当事者間に争いがないから、右のような事情の下において、控訴人に対する法務大臣の死刑の執行命令が発せられず、その結果として死刑の判決確定後三〇年を経過してしまつたといつて、直ちに控訴人に対するその後の死刑執行が憲法三六条にいう「残虐な刑罰」に該当するということができないことはいうまでもない。」を加える。

7  原判決四七枚目中、表九行目の項数「6」を「7」に、裏八行目の項数「7」を「8」に改め、同四八枚目表七行目冒頭から表一一行目末尾までを削除する。

三控訴人のその他の主張について

1  控訴人は「死刑囚のする再審請求に相当の根拠があつて慎重審理に値し、その間死刑の執行を差し控えて十分審理を尽させる場合には、検察官は刑訴法四四二条に基づいて死刑囚の死刑の執行を停止し、死刑囚から死の恐怖を取り除かなければならない。ところが、控訴人は前後一七回に亘つて再審請求をし、その期間は通算して約二八年に及んでいるにもかかわらず、この間、法務当局は控訴人に対し死刑の執行停止の措置を採ることなく二八年の間控訴人を死の恐怖の下に拘置し続けた。刑法一一条二項は死刑執行に備えて身柄を確保するために常識的に考えられる相当の期間拘置することを認めているに過ぎず、同条によつて控訴人に対する右のような拘置を正当化することはできないから控訴人に対する拘置の継続並びに死刑の執行は法定手続を保障した憲法三一条に違反する。」旨主張する。

控訴人が前後一七回に亘つて再審請求をし、その状況が原判決添付別紙①「再審請求状況調べ」記載のとおりであることは当事者間に争いがなく、これによれば控訴人が再審を請求し、再審事件が裁判所に係属している期間は通算して約二七年に及ぶことが認められる。また、右再審事件係属の期間中、検察官において控訴人の死刑の執行を停止する措置を採らなかつたことについて被控訴人はこれを明らかに争わないから、右事実を自白したものとみなす。以上の事実によれば、控訴人の再審請求に際して死刑の執行停止が採られることなく二六年余に亘り拘置が継続されていることは明らかであるが、これによつて控訴人に対する拘置の継続及び死刑の執行が憲法三一条違反になるとの控訴人の主張はこれを採用することができない。

即ち、刑訴法四四二条但書に基づく検察官による刑の執行停止は、同条本文において再審の請求が刑の執行停止の効力を有しないこととしたこととの関連において、真犯人が発見された等の事情により再審請求が認められる蓋然性が顕著である場合、その他諸般の事情からみて刑の執行を見合わせることが妥当と考えられる場合にまで、刑の執行停止が認められないのは相当でないとの考えのもとに、検察官の裁量によつて刑の執行を停止することができるとしたものであるから、再審の請求がなされたからといつて検察官は同条に基づき刑の執行を停止すべき義務を負うものではない。検察官は再審請求認容の蓋然性その他諸般の事情を考慮して刑の執行停止を決するのであるから、再審請求に際して刑の執行が停止されず、二七年の長期に亘り拘置が継続されたからといつて控訴人に対する拘置やその後の死刑の執行が許されなくなると解すべき理由がない。控訴人に対する死刑の確定判決の効力は依然として失われることはないから、控訴人に対する死刑の執行が法定手続によらないものということはできないし、控訴人の身柄の拘束は、右確定判決の執行として刑法一一条二項に基づいて行われるものであるところ、死刑の執行命令が発せられないことにより、拘置が長期化したとしても、その一事をもつて同条による拘置が許されないと解することはできないから、控訴人に対する右拘置が法定手続によらない憲法三一条に違反するものであるということはできない。

また、控訴人は、被控訴人は控訴人に対し死刑を執行する意思を有しないから、控訴人に対する拘禁は、刑法一一条二項に基づく拘置ではなく、また他のいかなる法律に基づく拘置でもないから憲法三一条に反すると主張するが、弁論の全趣旨によれば、控訴人の再審請求及び恩赦出願の状況その他諸般の事情を考慮して法務大臣の控訴人に対する死刑の執行命令が留保されている状況であることが認められ、被控訴人が控訴人に対し死刑を執行する意思がないとはいえないのであるから、控訴人に対する身柄の拘禁は刑法一一条二項に基づくものであつて憲法三一条に違反するものではない。

2  次に、控訴人は、「刑法一一条二項に基づく拘置が刑罰そのものでないとしても、控訴人は死の恐怖の下に三〇年という異常な長期間拘置されたもので、右拘置はその目的を著しく逸脱した残虐な刑罰に当たる。」旨主張する。

なるほど、刑法一一条二項に基づいて身柄を拘束された者が死刑の執行を受けることなく三〇年以上も拘置されるというような事態は、同条の立法当時一般に予想されるところではなかつたと思われるが、だからといつて死刑の裁判確定後速やかに死刑を執行すべきであつたと即断することはできないことはいうまでもない。

死刑は一たん執行されれば回復が不可能であり取り返しがつかないから、死刑の執行に際しては他の刑の執行よりも一層慎重な判断が要求され、死刑の執行命令は、再審請求や恩赦出願の状況等あらゆる事情を総合して法務大臣の責任と権限によつて決せられるべきものであるから、死刑を執行されることなく拘置が長期化したとしても、それだけで右拘置を憲法三六条の残虐刑の禁止の規定に触れるものと解することはできない。

3  控訴人は、「死刑の時効期間に相当する三〇年間も死刑の執行をしなかつた国家は権利の上に眠る者であるから、国家にはもはや「処刑」する「権利」はないと解するのが相当であるので、刑の執行のための拘置は目的を失い、被控訴人は刑法一一条二項の規定を根拠として控訴人を拘置することは許されない」旨主張する。

しかし、原判決添付別紙①②に記載された事実は当事者間に争いがないのであるから、被控訴人が控訴人に対し三〇年間死刑を執行しなかつたことをもつて、ただちに、国家に懈怠があり、国家が権利の上に眠り、また所論の権利を失うといういわれはなく、控訴人の右主張はその前提を欠き理由がない。

四以上説示のとおりであるから、控訴人の本訴請求は理由がない。

よつて、控訴人の本訴請求を棄却した原判決は相当であつて本件控訴は理由がないから、民訴法三八四条によりこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき同法九五条、八九条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官柳川俊一 裁判官近藤浩武 裁判官林  醇)

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